オフィスH  誠信の交わり

オフィスH(オフィスアッシュ)のブログです。世界から、豊かな物語を紡ぐ個性的なアニメーション映画や独立系作家に役立つ情報を紹介します。

フランスのtoutlecine.comに掲載されている、Jung監督のQ&Aです。
Couleur de peau Miel - Jung : 'C'est un bel hommage a la mere'
肌の色ははちみつ色-Jung:「これは母へのオマージュです」
http://www.toutlecine.com/cinema/l-actu-cinema/0002/00023090-couleur-de-peau-miel-jung-c-est-un-bel-hommage-a-la-mere.html

映画『はちみつ色のユン』のメッセージを理解していただく一助になれば幸いです。

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Q) 同じ時期にベルギーの小さな町に多くの韓国人養子がやって来たという、あなたのケースは特別ですね?

A) 私が住んでいた町は、ブリュッセルから30kmほどにある、やや裕福な(有産階級が住む)地域で、韓国人の子どもを持つのが流行のような様子でした。私の両親は、子どもの権利を守るTerre des hommes協会に属していたと記憶しています。少なくとも10人くらいの養子がいましたが、交流はなく、歩道を変えるとか・・・。BDにありますが、韓国人養子は私と同じように「Chinetoque(中国人)」と見られたのです。フランスには、12000人もの韓国人養子がいます。ベルギーには、4000人です。一般的には、ブリュッセルか、近郊の、やや裕福な家族に迎え入れられました。それでも、受け入れ先の家族に馴染めず、少なからずの養子が不幸な結末を迎えました。


Q) 映画で印象的なシーンの一つが、養子になった理由を答えるシーンでしたが。。。

A) 映画ではよく描かれていなかった母を再評価する印象深いシーンで、ラストシーンは重要でした。個人として重要です。もう一度言いますが、隣の芝生は青くないのです。韓国へ向かったものの、程なくして戻ってきた韓国人(養子)を多く見てきました。ある者は家族を見つけ出したものの、うまくやることができませんでした。養子たちは首を長くして待っていたのに、家族は待っていなかったのです。彼らに言いたいのは、母国の韓国と新しい関係を築けということです。別の関係を築かねばならないのです。


Q) すべては、終わりのない探求ですね。今日あなたはこのように言いますが、再び変わるのでしょうか。。。

A) もちろんです。アイデンティティの探求は終わらず、それに意識することがたいせつです。一生続くのです。翌日に問題が解決するようなものではありません。個人の問題に行き着きます。養子になって他の人より早く疑問を抱いたのだから、ラッキーなことです!精神的に豊かになることです。結局は、さまざまな混成(人種、国籍、文化などが異なる人々)と折り合いをつけること、それは不都合・欠点よりも、(精神的な)豊かさなのです。私はそのように受け取り、そして自らの再構築を可能にしました。たとえば、母を追い求めていた頃のように、年上の女性に心惹かれることは、今はありません。強いていれば、女性に出逢っても、彼女がこういう活力を持っていないなら、関係を誤ってしまい、共通ベースの関係を持つことはできません。こうして、私は成長して、このストーリーをいつか語れる日が来るだろうと、自分に言えるようになったのです。


Q) あなたのストーリーを見た最初の観客たちの反応を教えてください?

A) 信じられないほど、さまざまな上映、プレミアの機会に恵まれました。すでに、劇場には常に1,2名、時にはもっと多くの韓国人がいて、この映画が彼ら自身のストーリーと共鳴し、鏡のような映画だと感動してくれています。しかし、私はそのために制作したわけではありません。一時ブリュッセルの養子のコミュニティに出入りしていましが、長続きしませんでした。居心地が良くなく、別の場所を探しました。それでも、韓国人養子の女性と結婚し、子どもを一人授かったのは、偶然ではありません。一方で、養子に再会しても迷惑に感じることもありません。そういう関係を負担に感じることはなくなり、むしろ健全なのです。信じられないほどの見返りを得ています。彼らのほとんどはBDを読んでいて、映画にも失望してはいません。


Q) 映画の制作中、解放感を感じていましたか?

A) はい、はい。私の自伝であり、自筆のBDの映画化であるということを除けば。私の居場所を見つけて、船が正しい方向に向かっていることに気を配らねばならないと考えました。だから、私はあらゆる場所に顔を出し、アニメーション、デザイン、ポストプロダクション、編集、音響、音楽などについて、隅から隅まで関わりました。観客がスクリーンで見るのは私自身の人生ですから、他の誰かが私を失望させ、私の意図を曲解するのを望みませんでした。自分史を抽象化するのに、私にとても重要なテーマをぞんざいに扱われて良いわけがありません。しかし制作に入れば、常に経済的な争点(予算の問題)があり、アート的あるいは技術的に、作者が望むのとは逆の選択をせねばなりません。私たちは議論しました、頻繁に議論しました。もし私一人でこの映画を作っていたら、おそらく別のものになったでしょう。しかし、私たちが作り上げたものを恥じてはいません、それどころかとても成功した映画だと思っています。


Q) ナレーションの執筆は苦労しましたか?

A) ナレーションを最後まで書き上げられて満足しています。そもそも、ストーリーの基本路線を決めるのが、このナレーションです。ナレーションで語られることにすべてが関連づけられています。私が最後まで書けなければ、映画は完成しませんでした。本作の肝心は韓国帰国を語ることなのです。しかし韓国では、私の疑問の解消という点で大きな収穫を得られず、何を語れば良いのだろう?と、とても悩み、何を語るべきか自問して時間が過ぎました。解決の糸口をくれたのは、私の妻です。彼女は、私が自分自身を見つめようとした時から、いつも私をよりよい方へ導いてくれました。だから「ちくしょう、彼女は言うべき事を知っているくせに教えてくれない」(笑い)と思っていました。最後に彼女が助け船を出してくれました。彼女が私をどうみているか、それを文字通り言ってくれたのです、「あなたは、自分の空想の中で生きる子ども。だからBDを描くのでしょ。そして今は映画を作っている。ストーリーを立て直すこと、あなたのお母さんとのストーリーを作り直すことが必要ね。でもあなたは自分の世界の中で生きているから、身の周りに起こることを見ていない。あなたの周りには、他の人たちが居るのよ」と。これにはとても動揺し、泣きそうな思いになりました。実際、彼女は私のことをとても良く理解しています。彼女が私に言ったことは、映画の最後で私が語ったことです。私はおとなになりたくない(成長したくない)、私の空想の世界に留まっていたかったから絵を描くことを身につけました。母はそんなに遠くにはいなかった、彼女はここにいた、直ぐ横にいたのに、私がそれを見ようとしなかったのです。これは養子かどうか関係なく、母へのオマージュです。

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※ 仏語「coreen」の邦訳は、韓国または北朝鮮に特定されず、朝鮮半島の民族や文化等を指す場合は「コレアン」としました。仏語「Coree」の邦訳は、Jung氏は韓国からベルギーに渡ったため、氏の出生地・国を指す場合は「韓国」としました。

(邦訳の文責:オフィスH 伊藤)

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